稲荷山陣所(和泉国・泉南市)

別称> 浅野但馬守陣城(『和泉一国古跡名所』)、城山(『大阪府史蹟名勝天然記念物』)、稲荷山砦(『日本城郭大系』)

住所> 大阪府泉南市信達大苗代

比高(標高)> 3m(21m)

形態> 陣所

時期> 近世初期

アクセス> 

隣には海会寺跡や埋蔵文化財センターがあるので、同時に訪れつつ駐車場を利用するのがいい(ただし土日祝は休館)。

歴史

元和元年四月、大坂夏の陣のなかで浅野長晟が和歌山より出陣し、陣所にしたとされる。これについては先陣が佐野、本陣が信達に陣したと諸史料に記されている(「樫井合戦覚書」など。下参照)。その後樫井合戦で浅野軍が勝利し、撤退した。なお、この時一揆軍は信達の「山の手海の手」へ放火している(同上)。

「樫井合戦絵図」では浅野長晟本陣は「信達町」の北側にある。そして『新修泉佐野市史』十三巻の地図でも、稲荷山の位置は大体信達町の北側にある。

構造・現状

『和泉国城館跡絵図』所収の絵図では、複数の郭が描かれている。また、今昔マップの明治43年測図の地図を見ると、この頃までは丘陵として残っていたらしい。

現在は遺構を留めないが、絵図より稲荷山の位置は確定できる。周囲より小高くなっており、特に西側の道や海会寺跡付近から見ると、明らかに高まっているのがわかるので歩いているだけで楽しい。

史料・資料> 

「樫井合戦覚書」、『譜牒余録』、『駿府記』など(その他は『大日本史料』参照)、『和泉一国古跡名所』、『農事調査』、『大阪府史蹟名勝天然記念物』(以上は『史料集5  和泉の中世城郭』に所収されている)、「樫井合戦絵図」(『新修泉佐野市史』第十三巻)、『和泉国城館跡絵図』(『岸和田古城から城下町へ』)、『日本城郭大系』

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