狭山藩陣屋(河内国・大阪狭山市)

別称> 不明

住所> 大阪府大阪狭山市狭山

比高(標高)> 0m(78m)

形態> 陣屋

時期> 江戸期

アクセス> 

大阪狭山市駅から、周辺城館と一緒に巡るのが良いと思う。また、狭山池博物館も近い。

歴史

秀吉の小田原征伐で敗北した後、徳川幕府の下で狭山藩主となった北条氏が、氏信の時、元和二年(1616)に築き始めた。氏信は築き始めるまで、池尻村の庄屋の家を仮の陣屋としていた。築造はなかなか進まず、寛永二十年(1643)に上屋敷の大部分が完成した。下屋敷は小田原藩大久保家領の半田村を借地し延宝六年(1678)ごろから宝永年間に築かれた。天明二年(1782)に上屋敷が焼失し、同六年に藩主御殿が再建、その後上屋敷の整備も進み、絵図などに見れる形になったとされる。

廃藩置県以後、藩士は陣屋の居宅に住み続けている者もいたが、徐々に旧陣屋地は売却され畑地となり、小学校建設や村役場設置などで宅地が並ぶようにもなった(「近代以降の狭山藩陣屋跡」『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書』)。

構造・現状

発掘調査が数多く行われ、城郭遺構や遺物が出土している。以下に簡単にまとめる。

平成元年:下屋敷の遺構がこれまでの絵図からの推定より、東に広がること等がわかった(『池尻城跡発掘調査概要4』)。

平成五年:撃矧道場と池田家屋敷を区画する溝、多数の遺物が検出(市報告書4)

平成六年:溝や遺物、造成工事によるものと推定される傾斜した地山が検出(市報告書5)

平成八年:溝や土坑、遺物が出土(市報告書7)

平成九年:堀と考えられる大溝、三鱗紋の軒丸瓦などの遺物が出土、笠原家住宅の調査が行われた(市報告書8)

平成十年:溝や石列、多くの遺物が出土(『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書』)

平成十年:火葬の痕跡や土坑・溝、遺物などが検出(市報告書9)

平成十一年:石列や建物、暗渠などが検出(『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書2』)

平成十一年:井戸や鍛冶遺構が検出(市報告書10)

平成十二年:溝や土坑、遺物が出土(『平成12年度狭山藩陣屋跡発掘調査報告書』)

平成十二年:堀や井戸、土坑、遺物が出土(市報告書11)

平成十三年:溝や土壙、遺物が出土(『平成13年度狭山藩陣屋跡発掘調査報告書』)

平成十三年:弁天社の建物跡など多くの遺構が検出(市報告書12)

平成十四年:石垣や溝、遺物が出土(『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書3』)

平成十四年:造成工事跡などが検出(『平成14年度 狭山藩陣屋跡発掘調査報告書1』)

平成十四年:柵を形成していたと考えられる杭列などが検出(市報告書13)

平成十四年:建物跡や門扉の遺構、大溝などが検出(『平成14年度 狭山藩陣屋跡発掘調査報告書2』)

平成十四年:柵や塀に関係すると思われる土坑・ピットなどが検出(『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書4』)

平成十五年:土坑や埋甕などが出土(市報告書14)

平成十五年:溝や土坑、遺物が検出(『狭山池5号窯・狭山藩陣屋跡』)

平成十六年:陣屋の拡張を示す遺構や、谷の埋め立てた跡が見つかった(市報告書15)

平成十七年:陣屋東端を区画した可能性のある溝が検出(市報告書16)

平成十九年:ピットが検出(市報告書18)

平成二十一年:ピットや土坑、溝、遺物が出土(市報告書20)

平成二十三年:明確な江戸期の遺構はなし(『狭山藩陣屋跡』)

平成二十六年:大手筋や屋敷地に関する遺構、三鱗紋の鳥衾などの遺物が出土(『狭山藩陣屋跡2』)


明治期に描かれた「狭山藩陣屋上屋敷図」「狭山藩陣屋下屋敷図」で、火災後の再整備された陣屋の様子が窺える。一方でこの絵図と発掘調査成果では、差異も見つかっている(『狭山藩陣屋跡2』)。陣屋の上屋敷は中央を南北に道が通り、北側の搦手、南側の大手に枡形虎口を配置する。藩主邸・家臣屋敷などは道に沿うように並び、西側には池が堀の役割を果たす。幕末期には南側に砲台が設置された。下屋敷は狭山池に接する景勝地であった。そのほか、構造については、『狭山町史』などに詳しい。

現在、遺構と呼べるものは残っていないが、土地区画などがその面影を残す。絵図から上屋敷の南北の枡形の位置を推定すると、北はここ、南はここあたりだと思われる。石碑と案内板も残っているので、歩くと楽しい。下屋敷は現在はおおよそさやか公園などになっている。また、「枡形前」などを始め多くの小字が残っている(『狭山の地名五十話』)。西本願寺堺別院に移築門がある。

史料・資料

『北条家文書』、『中林家文書』、「狭山池惣絵図」、「狭山藩陣屋上屋敷図」、「狭山藩陣屋下屋敷図」、『大阪府全志』、『狭山町史』、『狭山の地名五十話』、『日本城郭大系』、『狭山と畿内の陣屋を掘る』、『大阪狭山市史』、『南河内における中世城館の調査』、「大阪陣屋サミット」、「摂河泉の陣屋」(『大阪春秋』175号)、『池尻城跡発掘調査概要4』、『狭山池5号窯・狭山藩陣屋跡』、『大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書』4, 5, 7~16, 18, 20、『府道河内長野美原線歩道工事にともなう狭山藩陣屋跡発掘調査概要報告書』1~4、『狭山藩陣屋跡発掘調査報告書』平成12年度, 13年度, 14年度1, 14年度2、『狭山藩陣屋跡』、『同2』

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