春木城(和泉国・和泉市)

別称> 不明

住所> 大阪府和泉市春木町

比高(標高)> 36m(104?m)

形態> 山城

時期> 室町期

アクセス

松尾寺城と共に巡るのがいいだろう

歴史

春木城については多くの地誌に記載があるが、その内容は必ずしも一致しない。まず、橘諸兄・諸繁の居館、あるいは楠木氏の築いた城砦であるというものがあり(『大阪府全志』『泉北史蹟志料』)、これは同書に「伝説」「口碑」とあるように、あくまで伝承で実際に橘諸兄らが関わったとは考え難い(楠木氏が築いたという方には、まだ可能性はある)。

もう一つが寺田又右衛門・寺田(松浦)安太夫が城主であったというもので、『泉北史蹟志料』には二人は大内義興旗下であり、永正九年に岸和田城の出城として居城にしたとある。こちらは何らかの誤りであると思われ、他の地誌が記すように、織田信長の時代もしくは根来攻めの付城として築かれた(「泉州四郡村高」など)というのが可能性が高いように思われる。両者は実際に信長の支配下で和泉支配を担っている(『泉州・紀北の戦国時代』『岸和田古城から城下町へ』)。根来攻めの付城ともされているので、秀吉の支配下でも機能していたのかもしれない。

構造・現状

「城と館」(『和泉市の考古・古代・中世』)によると、春木城は小字城山の「城山グラウンド」にあったとされている。Googleマップで見る限り同名のグラウンドは確認できないが、同書の地図(範囲が広く細かい位置まで分かりにくい)と照らし合わせると「松尾寺グラウンド」がそれだと思われる。

上の写真は、上掲書を知る前に『大阪府全志』の記述から自分が推定した位置で、実際の位置とは300mほど離れている。正確な位置を知ってから「松尾寺グラウンド」に行ってみたのだが、グラウンド使用中であったので写真は撮れなかった。なので、今度もう一度訪れる時までは、この写真を載せておこうと思う(彩りの意味で)。ちなみに右下の写真は、Googleマップで春木城とされている場所であり、もちろん間違っている(どの地誌もその位置を松尾寺と春木の境としている)。

現在は遺構は残っていない。だが『大阪府全志』や『泉北史蹟志料』が書かれた頃は、多少の城郭遺構も残っていたようで、また瓦も発掘されることがあったらしい。

史料・資料

『和泉一国古跡名所』、「和泉地方の農事調査書」、「泉州四郡村高」、『泉州記』、『和泉国在名高寺社地并古城名所記』、『古今重宝記』、『和泉郡村記』、『大阪府全志』、『泉北史蹟志料』(以上は、『史料集5 和泉の中世城郭』所収)、『日本城郭大系』、『和泉市の考古・古代・中世』

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