山崎砦(摂津国・島本町)

別称> 不明

住所> 大阪府三島郡島本町山崎

比高(標高)> 0m(14m)

形態> 平城

時期> 安土桃山期

アクセス

山崎駅から歩いてすぐ、府道67号線沿いにある。

歴史

島本町山崎の字「大手」にはかつて山崎南門(黒門)があり、天正十年六月に惟任光秀が羽柴秀吉に備え柵塁を設けた所であるという(『大阪府誌』、『大阪府全志』)。

天正十年の山崎の合戦では、高山右近と中川清秀が先陣を争って山崎の内に陣取り、第一陣と決まった高山右近が山崎南門を閉じて進軍して北門で惟任勢と戦った(「浅野家文書」、『太閤記』など)。これを考えると惟任光秀が山崎砦を築いたとは思われず、まだ羽柴方が築いたか北門に築いたとした方が蓋然性が高いように思う(あるいは築いたものの撤退したか)。

構造・現状

山崎南門については、「島本町文化財地図」(『島本町史』資料編付図)でこの位置に記されている。また同書付図の小字地図では、字「大手」は前記地点の南側一帯になっていて、この辺りであったことがわかる。『大阪府誌』や『大阪府全志』が編纂された当時は残礎があり、柵跡もあったというが、今では遺構は何も確認できない。

史料・資料

『大阪府誌』、『大阪府全志』、『日本城郭大系』

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