小山城(河内国・藤井寺市)

津堂城山古墳とも。南北朝期に南朝方の志貴右衛門が拠ったとされる。

畠山義就方の安見清時が拠った、三好康長が籠った、若江城攻めの織田方の陣城となったなど言われている。(『大阪府中世城館事典』)。

『細川両家記』の永禄三年七月十九日の項によると、三好義賢(実休)が河内攻めで「小山藤井寺」に陣を置いた(『足利季世記』は「藤井寺」と記す)。また『二條宴乗日記』元亀二年十一月八日条によると、高屋城攻めで三好義継や篠原長房が「少山ノ前付城」入っている。また『大阪府全志』の海船館の項、『全堺詳志』の政所の項、『堺市史』第七巻の三好長輝の項によると、三好之長は堺の海船館(政所)を中心に摂津の尼崎城、河内の小山城・古市城、和泉の新堀城・岸和田城に諸将を入れおいた(前二書は「海船政所記」を引用している)。支城のようなものだろうか。


現在は古墳の堀などは残るが、墳丘自体はどこまでが城郭遺構かはわからない。

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