余野城(摂津国・豊能町)
<別称> 幣ノ木塁
<住所> 大阪府豊能郡豊能町余野
<比高(標高)> 21m(363m)
<形態> 平山城
<時期> 中世?
<アクセス>
案内板はここあたり。
<歴史>
余野地区の主要城館の歴史は余野本城のところでまとめたが、余野城は余野山城守頼幸が明応年間余野に復帰した際に余野本城・余野城南麓の館と共に築いたとされ、天正年間の高山氏との対立で全て焼亡したという(『東能勢村誌』、『大阪府全志』)。
『能勢家由来旧記書抜』によると能勢頼次の息女、”おふく”は余野長右衛門広安に嫁したと言う。そして余野氏は多田院御家人で木代之庄余野村に旧廓があるとし、その後『摂陽群談』を引用している。
<構造・現状>
現在は学校があり遺構は消滅しているが、かつては曲輪や堀などが残存していたという(『日本城郭大系』)。現在は遺構は消滅し、地形などが面影を残すのみ。また南麓の字「本宅」が館であったという(『東能勢村誌』、『大阪府全志』)。
<史料・資料>
『摂陽群談』、『能勢家由来旧記書抜』、『摂津名所図会』、「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」、『大阪府全志』、『東能勢村誌』、『日本城郭大系』、『豊能町史』、『豊能ふるさと談義』、『豊能町歴史文化財紀要』、『大阪府中世城館事典』
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