内神城(摂津国・三田市)
内上荘の中心部にあるので、同荘園の地頭職の居城と考えられている。また、永禄年間には有馬四郎が在城していた。水の手は十分ではないが、居館城のようで、麓からは多数の遺品が出土しているので数代にわたって居住していたと想定されている。(『日本城郭大系』)
この付近から入ることができ、しばらく進むと空堀に入る。
現在も良好に遺構が残っている。なお九月に訪れた際には、遺構観察には問題がなかったが蜘蛛の巣(それも他の山城より大きい)が大量にあり、蚊もかなりいたので注意(但しこの時期はどこでもそう)二月には問題はなかった。
主郭は巨大で、北東と南西隅が突出しているが、北東隅の方は空堀到達時点では突出がなくなっており、横矢が考えられるのは南西隅の方のみである。主郭の南側の郭などは、土塁が屈曲するなど(一枚目右上)技巧的な構造になっている。主郭の東側の郭は段差のある帯曲輪と、所々に竪堀がある。
城域を囲む空堀は巨大で、主郭北東から始まり、そのまま南側まで続いている。また南東にはそこから独立した形で別の横堀があり、横矢がかかっている(一枚目左上)。
南端には小曲輪がある。全体を見渡すと大手道にあたる部分と思われ、周囲には不十分ながらも空堀らしきものもあるので、馬出しのような施設が想定できるかもしれない(馬出し風部分は夜だったのでまともな写真は取れていない)。
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