半田城(河内国・大阪狭山市)
<別称> 不明
<住所> 大阪府大阪狭山市半田
<比高(標高)> 12m(98m)
<形態> 平山城
<時期> 南北朝期
<アクセス>
大阪狭山市駅から、周辺城館と一緒に巡るのが良いと思う。
<歴史>
延元三年(1338)九月二十九日に、佐備三郎左衛門尉正忠、高木遠盛が「池尻半田」に向かい、合戦をした時(「高木遠盛軍忠状」『和田文書』、『南山巡狩録』)使用されたとされている。また『大阪府全志』には明応年間に埴田右近が拠ったと記されている。
<構造・現状>
「狭山神社遺跡の土塁と半田城」(『南河内における中世城館の調査』)では狭山神社の二重の土塁を城郭として使用されたと推定し、それを元に半田城の範囲を復元している。あくまで可能性の一つで、遺跡としては神社の北側に当たる。
埋蔵文化財として、平成二十三年の発掘調査では中世の遺物包含層が検出された(『大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書22』)。また、狭山神社の試掘調査では狼煙台と考えられる焼土坑などが見つかり、ここでも城館の可能性が指摘されている(『挟山神社遺跡試堀調査報告書』)。
現在、遺跡としての位置(北側)では高い地形が感じられる他に遺構はない。また半田城に繋がる道と推定される「シロノサカ」は今でも坂となっている。
狭山神社の土塁は、インターネットで調べると近くまで行くことができたというサイトもあるが、少なくとも自分の訪れた9月では進入できるような状態になく、また神社境内のため進入して良いのかも分からない。
<史料・資料>
(『和田文書』、『南山巡狩録』)、『大阪府全志』、『日本城郭大系』、『挟山神社遺跡試堀調査報告書』、『大阪狭山市内遺跡群発掘調査概要報告書22』、『南河内における中世城館の調査』
位置は埋蔵文化財の位置
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