富田砦(摂津国・高槻市)

別称> 富田堡(『大阪府全志』)、富田村堡(『摂津志』)

住所> 大阪府高槻市富田町

比高(標高)> 0m(16m)

形態> 平城

時期> 中世?

アクセス

普門寺城・富田寺内町と共に巡るといい。富田駅が近い。

歴史

『大阪府全志』は富田氏が拠った城館であるとし、『摂津志』は余野氏が拠ったものとしている。『摂津志』はその後天正十年に羽柴秀吉が陣を敷いたことを記している。一方で『大阪府全志』は無関係であることを断った上で同内容を記している。

構造・現状

富田砦は『日本城郭大系』で「その位置等については明らかではない」と述べられているものの、『大阪府全志』の「富田堡の址」の項ではその位置が「西方天神山の邊」とされている。上に書いたように、『摂津志』は富田砦に羽柴秀吉が陣を置いたとしているのだが、『浅野家文書』などの史料からわかる限りでは(詳細は天神山砦の記事参照)、秀吉は富田に陣取り、秀吉軍の先陣は天神馬場にも陣を置いていた。よって富田に秀吉が陣を置いていたことは確かなのだが、「天神山」(及び天神馬場)は富田から東に離れた先陣がいた場所であり、この点でよくわからない。天神山の秀吉本陣伝承と、富田に秀吉本陣があった事実が混乱した結果なのだろうか。『大阪府全志』は一方で字「宮代」がかつて「宮城」であり富田砦が関連しているという推測を併記しており、『高槻市史』第三巻付図の小字地図を参照すれば大字富田の西に「宮代」が見つかる。よって現状は推定地の域を出ないが、この小字「宮代」を富田砦の位置として下記のマップにも載せておく。遺構などはもちろん確認されず、住宅地として開発されている。

史料・資料

『摂津志』、『大阪府全志』、『日本城郭大系』

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