安照寺城(摂津国・高槻市)
<別称> 不明
<住所> 大阪府高槻市真上町
<比高(標高)> 15m(40m)
<形態> 平山城
<時期> 戦国期
<アクセス>
高槻駅から天神山砦や田中城を経由して向かうのがいいかもしれない。
<歴史>
文明元年七月十一日に、応仁の乱東軍が籠る「安照寺之城」が西軍に落とされた(「野田泰忠軍忠状」『前田家所蔵文書』)。これによって忍頂寺城に籠る薬師寺与次・四宮四郎右衛門尉が窮地に陥り、安富又次郎と野田泰忠が救援に駆けつけることとなった。
<構造・現状>
安照寺の合戦は『高槻市史』第一巻でも述べられ、安照寺が丘陵の突端にあり応急の砦として機能したと推測された上、安照寺跡地の写真が掲載されている。その写真は当時のものであることもあり場所がよくわからない。ただ今昔マップの明治四十一年測図1/20000「高槻」での安照寺の位置と大阪府の埋蔵文化財地図での「真上安祥寺古墳」の位置から大凡の位置が分かり、下のマップではそこを示した。遺構は消滅しているが、丘陵の地形はよくわかる。
<史料・資料>
「野田泰忠軍忠状」、『高槻市史』第一巻
0コメント