松永屋敷(摂津国・高槻市)

別称> 松永久秀故居、松永久秀宅

住所> 大阪府高槻市東五百住町

比高(標高)> 0m(12m)

形態> 平城

時期> 戦国期

アクセス

富田駅から近いほか、今城(今城塚古墳)から徒歩で行くこともできる。

歴史

松永久秀が生まれたところであると伝承されている(『大阪府全志』など)。松永久秀の出身地については諸説あるが、東五百住出身の土豪であるとする説が状況証拠が整っているとされている(「松永久秀の出自と高槻」)。東五百住の土豪松永氏の居館であった可能性は十分あり得るだろう。

また、東五百住村には松永久秀が寄進したとされる田地もあった(『芥川上流域における水論の史的研究』)他、本山寺には松永久秀が東五百住に在城していた時に寄進した宝物が伝わっている(『摂津名所図会』)。

構造・現状

絵図などからは、堀をめぐらし土塁に囲まれ、西側に虎口を開いた形であったと考えられる(「松永久秀の出自と高槻」)。堀の北・東部は近世に用水の水路として利用されていた。松永屋敷がある字「城垣内」はネット上に写真として上がることの多い水田を東側として、そこから女瀬川を渡り南北に通る道路まであたりの一帯である。現在は遺構は確認できない。

史料・資料

「郡家村・東五百住村境見分絵図」、「山崎通分間延絵図」、「摂津国名所旧跡細見大絵図」、『摂津志』、『摂陽群談』、『摂津名所図会』、『淀川両岸一覧』、『東五百住村村誌』、『大阪府全志』、『大阪府誌』、『芥川上流域における水論の史的研究』、「松永久秀の出自と高槻」(「しろあとだより」第5号)、『大阪府中世城館事典』

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