高槻砦(摂津国・高槻市)

別称> 高槻城、故高槻堡、古高槻城

住所> 大阪府高槻市春日町

比高(標高)> 0m(7m)

形態> 平城

時期> 戦国期、近世か

アクセス

高槻城・しろあと歴史館から歩いて向かうのがいい

歴史

和田惟政が築き、大津長昌が在城したときに廃城になったとされる(『大阪府全志』など)。これは史料上は否定されるが、『大阪府全志』が推測する高槻城への付城だという点では、三好・松永氏による高槻城への付城の可能性は考えられるという。また、当地にあった磯村家は近世後期〜近代の有力な家であり、その屋敷地を城跡として捉えようとする意識があったとも推定されている(「明治時代の『東摂城址図誌』と西天川の高槻城」)。

構造・現状

「東摂城址図誌」に示される字「小島ノ内」は「小高ノ内」の誤りである。これは「小高槻」「古高槻」に由来する小字であり、その位置は春日神社の東隣一帯になる(高槻市の小字地図は『高槻市史』第三巻)。現在は遺構はないが、「東摂城址図誌」には三方を水路で囲まれた方形に近い形状が描かれている。また水路には「外堀」「内濠」という名前が伝わっていたともされる(『大阪府全志』)。

史料・資料

『摂津志』、「東摂城址図誌」、『大阪府全志』、『大阪府誌』、『日本城郭大系』、「明治時代の『東摂城址図誌』と西天川の高槻城」(『しろあとだより』第9号)

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