平石城(河内国・河南町)

南北朝期に南朝方の砦として築かれたが、畠山国清らにより落城。その後城主の平岩氏は後醍醐天皇を迎えようとしたが、その後は不詳。(『大阪府中世城館事典』)

関連は不明だが、『岸和田治氏軍忠状』には「平石源次郎」の名が見える。


34.496654, 135.657168 付近より登山道が整備されている。


地形に沿った形の主郭を、帯曲輪が囲んでいる構造で、一部の帯曲輪は堀切となる。史料上は南北朝期しか現れないが、遺構から戦国期にしようされたと思われている。(『大阪府中世城館事典』)

帯曲輪以北にも遺構があると言われることもあるが、自然地形、もしくは後世の破壊のように思えた。

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