大坂本願寺(摂津国・大阪市)

明応六年に蓮如が「大坂御坊」を建立したのが始まり。

一向一揆は細川政元や晴元などと対立することになり、晴元により本山の山科本願寺が焼き討ちされたためここが本山となった。

以降は流通や経済の中心として発達し、寺内町として城郭化も進んでいった。

信長の上洛後はついに対立することになり、十年に及ぶ石山合戦のすえ和睦したが、その時には五十一の支城を設けた(『大阪府中世城館事典』『日本城郭大系』)。


現在は位置も諸説あり、石碑が立つのみである。

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