2021.03.28 09:09堀城(摂津国・大阪市)<別称> 中島城(『細川両家記』)、右馬頭城(『言継卿記』)、細川典厩之城(『信長公記』)<住所> 大阪府大阪市淀川区十三本町<比高(標高)> 0m(0m)<形態> 平城<時期> 中世(安土桃山?)<アクセス> 十三駅からすぐ<歴史>一般的には堀城は「中島城」が別名とされており、...
2021.03.25 10:55三津寺砦(摂津国・大阪市)<別称> 三塚(「難波三塚」『甫庵信長記』、「三塚」『明智軍記』)<住所> 大阪府大阪市中央区心斎橋筋二丁目<比高(標高)> 0m(4m)<形態> 平城<時期> 安土桃山期<アクセス> 難波駅から近い<歴史>天正四年(1576)、石山合戦(厳密には大坂本願寺合戦)において、本願寺...
2021.03.24 09:10古橋城(河内国・門真市)<別称> 不明<住所> 大阪府門真市御堂町<比高(標高)> 0m(4m)<形態> 平城<時期> 安土桃山期<アクセス> 駅から近い、また近くは駐車場もある<歴史>元亀二年(1570)に三好三人衆が挙兵し、野田・福島城を築き織田信長に対抗した際に、織田方の三好義継・畠山昭高が八月十...
2020.08.23 09:38野田城(摂津国・大阪市)細川晴元と三好元長の争いで、三好方の浦上掃部が野田・福島に陣を敷いたのが原形とされ、細川氏綱も在城した可能性がある。織田信長の上洛後は三好三人衆が野田・福島に籠り戦った野田・福島の戦いの舞台となった。石山合戦でも織田方の陣城と使用された陣城と使用された可能性がある。その後は定かで...
2020.08.22 02:19大坂本願寺(摂津国・大阪市)明応六年に蓮如が「大坂御坊」を建立したのが始まり。一向一揆は細川政元や晴元などと対立することになり、晴元により本山の山科本願寺が焼き討ちされたためここが本山となった。以降は流通や経済の中心として発達し、寺内町として城郭化も進んでいった。信長の上洛後はついに対立することになり、十年...
2020.08.20 12:45萱振寺内町(河内国・八尾市)蓮如の子蓮淳によって開かれた恵光寺を中心に発展した。萱振氏という国人の拠点とも重複する。石山合戦時に織田方の若江城に対する付城となったが、信長により落城し炎上した。(『大阪府中世城館事典』)『大阪府中世城館事典』掲載の「萱振村絵図」を見る限り、現在残る集落を囲む水路の内、北半分が...
2020.08.20 08:41勝曼砦(摂津国・大阪市)天王寺城との関係の考察は「天王寺城」について参照。本願寺の支城として「勝曼ノ塔ニ城ヲ築」いたと『陰徳太平記』にある以外は不明。「勝曼ノ塔」という記述から勝鬘院の多宝塔付近と思われる。
2020.08.20 08:34天王寺城(摂津国・大阪市)周辺の勝曼砦・大塚城との関係考察は「天王寺城」について参照。佐久間信盛が石山合戦時に拠ったとされる(『摂津志』)また、野田・福島の戦いで信長の本陣になった以外にも度々陣を敷かれた(『信長公記』など)『摂津志』『東摂城址図誌』などから月江寺にあったとされ、図誌には東側に横矢のような...
2020.08.16 23:30天満の森陣所(摂津国・大阪市)1570年7月27日に野田・福島の戦いにおける三好三人衆方の砦として築かれる。同年8月26日に野田・福島の戦いでの織田方の付城となる。同年9月9日には信長の本陣となった。1575年には荒木村重によって大和田城とともに落とされた。(『信長公記』、『信長・本願寺十年戦争』)「天満砦」...
2020.08.16 13:21渡辺砦(摂津国・大阪市)野田・福島の戦いにおいて、織田方の付城として築城された。(『信長公記』)その位置はわかっていないが、名称から渡辺津付近だと思われ、楼の岸砦と同じではないだろうか。(『信長公記』の8月26日に渡辺を陣にし、9月3日に楼の岸砦を築かせたという記述が矛盾しているように感じられる。しかし...
2020.08.16 12:43楼の岸砦(摂津国・大阪市)1570年、野田・福島の戦いにおける織田方の付城として9月8日には築かれ斎藤新五、稲葉一鉄、中川八郎右衛門重政が守る。しかし13日夜に本願寺の攻撃を受ける。1574年の本願寺再挙兵時には、本願寺の砦となった。1576年、天王寺の戦い後に、本願寺が五十一の支城を構えたときには、その...
2020.08.16 00:26榎並城(摂津国・大阪市)南北朝期に楠木正儀が応安2年3月に天王寺から榎並に退き陣を敷いたという記録があり、榎並城付近であったと推定されている。「榎並城」という名前の初見は『細川両家記』天文十七年十月二十八日条にあり、三好長慶が三好政長・政勝父子の居城榎並城を攻めた。榎並城は政勝が守るも、政長敗死を知り瓦...