野田城(摂津国・大阪市)

細川晴元と三好元長の争いで、三好方の浦上掃部が野田・福島に陣を敷いたのが原形とされ、細川氏綱も在城した可能性がある。

織田信長の上洛後は三好三人衆が野田・福島に籠り戦った野田・福島の戦いの舞台となった。石山合戦でも織田方の陣城と使用された陣城と使用された可能性がある。

その後は定かではないが定かではないが大坂冬の陣で使用されたと思われる。

構造なども明らかではないが、字名などはその面影を残す(『日本城郭大系』)。


現在は遺構は消滅しており、二箇所に石碑が立つのみ(ここここ)。


【報告書】

大阪市内埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書2011』p137

平成24年度 大阪市内埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書』p7

大阪市内埋蔵文化財包蔵地発掘調査報告書(2015)』p61

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