瀧山城(摂津国・神戸市)

鎌倉幕府に対し挙兵した赤松円心が籠ったのが初見。

天文八年に尼子氏が播磨に進出した際には赤松氏が置塩城から滝山城に逃げた。

その後三好長慶が畿内を掌握すると松永久秀を滝山城に在城させた。久秀はそこで千句連歌などを開催するなどした。

松永久秀が大和国を支配するようになると滝山城衆が在城し、その支配に当たった。

三好長慶の死後は松永久秀と三人衆が対立し三人衆方の攻撃により落城した。

その後は廃城になったと思われている(『近畿の名城を歩く』)


ここ付近から登る。(あまり詳しい場所ではない)


三つの曲輪群で構成され、西には二重堀切があり、また中央と東の曲輪群の間にも堀切がある。石垣の残石がある他は曲輪が地形に沿って連なっている。

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