田尻城(摂津国・能勢町)

別称> 不明

住所> 大阪府能勢町下田尻

比高(標高)> 57m(283m)

形態> 山城(平山城?)

時期> 室町期か

アクセス> 他サイトに従い34.960979, 135.429996付近より直登

歴史

詳細は不明。田尻城のある田尻荘は多田院御家人で室町幕府奉公衆の能勢氏の所領で、史料上には『能勢町史』第三巻51号文書・『真如寺所蔵能勢家文書』1号文書にある、1231年能勢頼仲が父頼定から田尻庄地頭職を引き継いだことが藤原頼経より安堵されている文書が能勢氏と田尻荘の関連の初見である。『能勢町史』第一巻では1220年には能勢氏が地頭職を得ていたと推測している(p337)。田尻荘は少なくとも1471年までは能勢氏が地頭職を持っていた(『能勢町史』第三巻131号文書・『真如寺所蔵能勢家文書』8号文書)。おそらくは能勢頼則・国頼と続いていく細川氏被官能勢氏に継承されたと思われる。

近世には豊臣政権下で島津氏の支配となったが、慶長五年には能勢氏の所領となった(『能勢町史』第一巻p535)。また、『日本城郭大系』の丸山城の項によると、1586年に塩川国満が田尻城を落としたとしている。

能勢氏に関連している城館と考えてよいだろう。

構造・現状

小字は「西山」(『能勢町史』第一巻付図)

方形に見える主郭を帯曲輪が囲んでいる。西側の帯曲輪は削平地なのかも不明。基本的にどの曲輪も削平は甘い。尾根続きの南側には豪快な堀切がある。この堀切は非常に良く、このためだけに田尻城を訪れても良いだろう。東側には少し降ったところに横堀・竪堀があり、ここも見どころの一つである。

資料

『能勢町の中世城郭』、『能勢町史』第一巻(p409)、「摂津能勢郡の戦国期城館にみる築城・改修の画期」、『大阪府中世城館事典』


Google マップの位置は少しずれている

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