田尻御所(摂津国・能勢町)
<別称> 田尻東山城(『能勢町の中世城郭』)
<住所> 大阪府能勢町下田尻
<比高(標高)> 176m(366m)(比高は田尻川から)
<形態> 山城
<時期> 平安期?
<アクセス> 猪ノ子峠から林道を上って行き、34.951440, 135.432447付近より直登。ちなみに林道は34.954259, 135.432743付近から「未舗装により車両は迂回してください」的なことを書いているのでここ付近から歩いたが、二台の車とすれ違った。
<歴史>
永承年間に御室御所(仁和寺)が築き能勢地方を支配したと言う(『大阪府全志』)。また同書によれば平地と堀があると記す。
『能勢町史』第五巻には能勢町に伝わる口頭伝承などを記しているが、その中に田尻御所についてもある。それによると小和田山に田尻御所の別殿があるという。(ちなみに小和田山は地理院地図にも記載されている。35.001483, 135.457778付近)さらに、宇多天皇が田尻御所にいたときの伝承なども載っている。そして「参考」として『田尻御所御垣内四方詰之㕝(事の旧字)』という1597年の史料を紹介する。それには御所建立に際しての逸話や知行所の範囲が述べられてる。
構造や立地、「田尻東山城」という別名から田尻御所が城郭であることはほぼ確実であるが、宇多天皇に関係した伝承なども考える必要があるだろう。
田尻城の項で述べたように、能勢氏と田尻の関係は深く、能勢氏が関連した可能性もあるだろう。
<構造・現状>
小字は「東山」(『能勢町史』第一巻付図)(ちなみに大字野間出野側にまたがり、そちら側の小字は「古岩」である。実際に岩がたくさんあった)
単郭構造で、東側には腰郭らしきものが確認されるが、自然地形の可能性もある。北側は浅いながら堀切で尾根を断ち切り、南側は大きい堀切で断ち切っている。
眺望は全く期待していなかったのだが、山頂からは田尻荘が一望できる。秋だったこともあり、非常に美しかった。現地では意識していなかったが、田尻城を望むこともできただろう。
南北堀切・眺望があり非常にお勧めできる城館である。
<資料>
『大阪府全志』、『日本城郭大系』、『能勢町の中世城郭』、『能勢町史』第一巻(p409)、『能勢町史』第五巻(p452)、「摂津能勢郡の戦国期城館にみる築城・改修の画期」、『大阪府中世城館事典』
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