千町鼻城(河内国・寝屋川市)
<別称> 不明
<住所> 大阪府寝屋川市太間町
<比高(標高)> 0m(4m)
<形態> 平城
<時期> 室町期
<アクセス>
最適な駅はないが、河川敷の駐車場は近い
<歴史>
畠山両氏(義就と政長)の争いの中で、文明十五年八月二十二日に義就方が千町鼻の近くの堤を切り落とし、淀川の水で河内北部を水没させ、その後二十八日に城を構えた(以上、『大乗院寺社雑事記』)。明応八年の細川政元と畠山尚順の合戦の際には、尚順方の誉田氏が陣を置いた(『大乗院寺社雑事記』明応八年九月十三日条)。また天正三年三月十一日に、織田信長も千町鼻の堤を切り落としている(「松雲公採集遺編類纂」・「末吉文書」、『大日本史料』)
<構造・現状>
位置は『大阪府史』第四巻の付図にあるが、広範囲の地図なので正確な位置は分かりづらい。遺構はもちろん無いが、わずかに茨田堤の石碑(ここやここ)がある。
<史料・資料>
『大乗院寺社雑事記』、(「松雲公採集遺編類纂」、「末吉文書」)、『大阪府史』第四巻、『戦国摂津の下剋上』
上記の通り正確な位置が判別し難いので位置は茨田堤の石碑の位置を示しておく。府史四巻の付図に示される位置はもう少し南。
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