高野山城(和泉国・岬町)

別称> 不明

住所> 大阪府泉南郡岬町孝子

比高(標高)> 208m(285m)

形態> 山城

時期> 安土桃山期か

アクセス

高野山はハイキングコースが整備されており、高仙寺本堂向かって右側から登山道が続く。高野山城からさらに登れば和泉飯盛山城に到達する。

歴史

高野山城は近年発見された城館(泉佐野の歴史と今を知る会「会報」299号、『史料集5 和泉の中世城郭』収録)で、伝承などもなく歴史は不明だが、織田信長の雑賀攻めに関連していると想定されている。

構造・現状

主郭とみられる部分は南・東を土塁で囲み、北側も土塁状の遺構がある。東には帯曲輪のような曲輪もいくつか見られるも、削平が不十分なため自然地形との判別が難しい。南側にはさらに曲輪があり、土塁状の遺構も存在するが、これは登山道の開発によるものに思えた。南西には堀切があり、尾根を遮断している。

さらに登ったピーク付近にも遺構らしきものは存在するが、意図がわからない上、自然地形の可能性も残る。

史料・資料

泉佐野の歴史と今を知る会「会報」299号、『大阪府中世城館事典』

摂河泉城館紀行

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