淡輪城(和泉国・岬町)

別称> 淡輪邸

住所> 大阪府泉南郡岬町淡輪

比高(標高)> 0m(16m)

形態> 平城

時期> 中世

アクセス

淡輪駅から至近距離。

歴史

和泉国の国人領主で淡輪周辺を拠点にした淡輪氏の居館とされる。地誌を見ると、特に淡輪大和守(徹斎)の居城とされている。淡輪氏の動向は『淡輪文書』に詳しいが、南北朝期以来その動向が窺え、海上でも軍事活動を行い、織田信長の雑賀攻めなどでも活動した。淡輪氏は豊臣秀次の失脚・切腹に連座し所領没収になったとされ、淡輪城もここで廃城となったとされている。その後大坂の陣の樫井合戦で豊臣方として淡輪大和守子息の重利・重政が討死し当地に宝篋印塔が建てられている。徳川方についた淡輪氏は紀州浅野家に仕えた。

構造・現状

字「城ノ藪」付近が中心と思われ、他の小字から周辺にまで広がっていたとも考えられている(『大阪府中世城館事典』)。現在は完存ではないものの、土塁が残っており近くから見ることができる。また、案内板も立っている。

史料・資料

「和泉州三十六郷党並ニ二十四郷士之記」、『和泉一国古跡名所』、「和泉地方の農事調査書」、「泉州四郡村高」、『泉州記』、『大阪府全志』、『泉南記要』(以上は『史料集5 泉の中世城郭』所収)、『大阪府史蹟名勝天然記念物』第4冊、『日本城郭大系』、『大阪府中世城館事典』

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