持尾城(河内国・河南町)
茶臼山、城ヶ塚とも呼ばれ、平石城と相対する。元弘二年に楠木正成が築き、平岩氏が拠った。(『日本城郭大系』、及び案内板)
34.484746, 135.659093 付近から登山道が整備されている。
南北朝期の城郭のためどこまでが城郭遺構かは判然としないが、曲輪・虎口らしきものなどが残る。もし縄張図の範囲が城郭遺構なら、南端の小曲輪は虎口受けの曲輪と評価できるように思える。
また、城郭付近は絶景で、戦略的に重要な地点であったことが窺える。
茶臼山、城ヶ塚とも呼ばれ、平石城と相対する。元弘二年に楠木正成が築き、平岩氏が拠った。(『日本城郭大系』、及び案内板)
34.484746, 135.659093 付近から登山道が整備されている。
南北朝期の城郭のためどこまでが城郭遺構かは判然としないが、曲輪・虎口らしきものなどが残る。もし縄張図の範囲が城郭遺構なら、南端の小曲輪は虎口受けの曲輪と評価できるように思える。
また、城郭付近は絶景で、戦略的に重要な地点であったことが窺える。
0コメント