楼の岸砦(摂津国・大阪市)
1570年、野田・福島の戦いにおける織田方の付城として9月8日には築かれ斎藤新五、稲葉一鉄、中川八郎右衛門重政が守る。しかし13日夜に本願寺の攻撃を受ける。
1574年の本願寺再挙兵時には、本願寺の砦となった。
1576年、天王寺の戦い後に、本願寺が五十一の支城を構えたときには、その一つとなっている。同年の第一次木津川口の戦いでも、楼の岸砦より本願寺勢が打って出ている。(以上、『信長公記』、『陰徳太平記』、『信長・本願寺十年戦争』)
現在は遺構は消滅し、坐摩神社の行宮となっている。(『大阪府全志』、『摂津志』)
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