天満の森陣所(摂津国・大阪市)

1570年7月27日に野田・福島の戦いにおける三好三人衆方の砦として築かれる。

同年8月26日に野田・福島の戦いでの織田方の付城となる。

同年9月9日には信長の本陣となった。

1575年には荒木村重によって大和田城とともに落とされた。(『信長公記』、『信長・本願寺十年戦争』)

「天満砦」も天満の森を指していると思われる。


「星合の池」案内板には1574年に天満山の北、星合の池と明星の池の間に信長が本陣を敷いたと書いてあり、天満の森のことだと思われる。(1574年は誤記か)

明星の池は紅梅町にあったとされ(『大阪府全志』)、その間の堀川小学校付近と思われる。

(追記:「石山合戦配陣図」(『描かれた大坂城・写された大坂城』)には信長の本陣は天満山の北、七夕池と長池の間にある。どちらが正しいのかわからないが天満山の北で星合池と明星池の間というのは合致しない。再検討が必要。)

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