郡山城(摂津国・茨木市)
詳細な歴史は不詳だが、『摂陽群談』や『東摂城址図誌』などに見え、郡正信の築城と伝えられていたりもする。郡山の地は浄土真宗の寺内町で、「郡山衆」などが存在し、信長の攻撃を受けた。
織田信長の荒木攻めなどで陣所として使用された。『摂津志』には山田城十三支城に「郡山村」とある。(『日本城郭大系』、『大阪府中世城館事典』、『摂津志』、『摂陽群談』、『東摂城址図誌』)
『東摂城址図誌』には南北六十間、東西六十七間とあり、池などが描かれている。今は周囲より高地となってはいるが、遺構は消滅。石碑と案内板と、浪速少年院の建設時に出土した「三つ鱗」「三つ星」の印のある城石が展示してある。
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