堺北台場(和泉国・堺市)
※図は「堺新御台場図」「堺御台場之図」「堺大繪圖」(何れも堺市立図書館 地域資料デジタルアーカイブで閲覧)を元に作成した
<別称> 堺北岸台場(堺市史)、大浜砲台(大阪府全志)
<住所> 大阪府堺市堺区北波止町
<比高(標高)> 0m(5m)
<形態> 台場
<時期> 江戸期
<アクセス> 自分は電車で行っていないが、堺駅から徒歩で行ける距離。ちなみに北台場ー南台場間を歩くのは案外距離があった
<歴史>
幕末、京都にもつながる大阪湾の海防が重視される中、安政元年九月ごろから築造が始まり、安政二年九月ごろには大略できあがっていたとされる。台場が彦根藩預かりとなったのちは北台場は大砲八門を備え三十六貫目の臼砲を主砲としていた。また南台場と同時に部分的に改築されたとされる(「大阪府下の幕末海防築城」)
明治になってから陸軍省の所属となり、今は大浜北公園となって消滅した(以上、『堺市史』第三巻)。ただ『堺市史』が書かれた1930年ごろには多少面影を残していたようである。一方で『大阪府史蹟名勝天然記念物. 第5冊』の大浜公園の項目には、当時の1931年ごろは南台場よりも北台場の方が遺構が多いとしている。
<構造・現状>
「堺新御台場図」は北台場の石垣や土塁を描いているが、「堺御台場之図」「堺大繪圖」などとの異同もある。ただ「堺浦両御台場絵図」を除いて海側にコの字に土塁があることは一致している。北台場は今は遺構は消滅しているため、上記の絵図を元に縄張図を描いてみたが、必ずしも正確とは限らない。
現在は大浜北公園となっており、遺構はないが、公園の海側に案内板がある。また写真のように土塁のような高まりもあるが、これが何なのかは不明。
<史料・資料> 調べている途中
『堺市史』第三巻本編第三、第七巻別編、『大阪府史蹟名勝天然記念物』第5冊、『大阪府全志』、「大阪府下の幕末海防築城」(『日本城郭大系』)
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