堺南台場(和泉国・堺市)
※図は「堺浦海岸砲台築造図絵」(堺市立図書館 地域資料デジタルアーカイブで閲覧)と実際に見た状態を元に作成した(現況図ではない)
<別称> 堺南岸台場(堺市史)、大浜砲台(大阪府全志)
<住所> 大阪府堺市堺区大浜北町
<比高(標高)> 0m(7m)
<形態> 台場
<時期> 江戸期
<アクセス> 自分は電車で行っていないが、堺駅から徒歩で行ける距離。ちなみに北台場ー南台場間を歩くのは案外距離があった
<歴史>
幕末、京都にもつながる大阪湾の海防が重視される中、築造されたが、具体的にいつかは不明である。『堺市史』では安政五年六月には竣工し、築造には一年以上はかかったと推測している。文久三年に台場が彦根藩預かりとなったのちに一年五ヶ月以上かかって改築され、「堺浦両御台場絵図」などに見える四角形の形状から、現在の形状となった。改築の途中で彦根藩が退役し、堺奉行に引き継がれている。大砲十八門を備え、十八貫目の加農砲を主砲としていた。
明治になってから陸軍省の所属となり、大浜公園、水族館となった(以上、『堺市史』第三巻)。
<構造・現状>
現在は西側と北堀以外は石垣や土塁、堀などがよく残っており、整備もされている。今は残っていないが当時は見切り塁もあったようである。堀に面した部分では土塁は折れ、石垣は二段になっていたようであるが、北側は今は一段になっている。東側と北側は現在車道に面しており、遠くから見ることになる。
発掘調査については、「発掘調査成果から見た堺台場」にまとめられている。
<史料・資料> 調べている途中
『堺市史』第三巻本編第三、第七巻別編、『大阪府史蹟名勝天然記念物』第5冊、『大阪府全志』、「発掘調査成果から見た堺台場」(『堺市博物館研究報告』第38号)
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